2009年10月17日

質問と云う新鮮さで解説の重要さを再確認

 先日、とあるCGIゲームに参加した折、チャットでこんな質問をされました。

「Perlで出来ない処があるので真偽について教えてくれ」

 私は兎に角、人に何かを教えるのが苦手なので、
「コードを何処かにアップしておいて下さい。暇ができた時に直しておきますよ」
 、と答えました。

 私の性格なのですが、自分でやった方が理解して貰うよりも早い、と判断する傾向が強く、大抵の場合、これが当て嵌まります。

 作業がありましたので中座し、翌日覗いてみると自己解決した、との事。
 何となく悪い気がしましたので、簡単にPerlの真偽について記述しておきました。


 これ、何気ない事なのですが、ちょっと考え込みました。

 私の場合、絵の仕事に関しても、システムの仕事に関しても、基本的に独学、自己解決して来た感が強かった為、自らが質問者となる事が少なかった訳です。
 勿論、ペーペーの頃、斬新なテクニックや目を見張る様な技巧には目敏かったので訊ねる事はままありましたが、概ね、技は盗む、タイプであり、オリジナルを作り上げる方だったんです。
 若い頃は理論派気取りだったので、頭で理解し、修練を積む、と云った感じだったのですが、今ではすっかり直感派になってしまったので、何となく出来てしまう、そんな状況です。
 しかし、気を付けなければなりませんね。
 自己解決に特化してしまった為、分からない事が分からない、程に盲目気味になってしまった様です。
 小4の時からCに触れて来たせいで麻痺してしまっているのかも知れません。
 正直、これはマズいです。

 今でも人に何かを尋ねられた時、理屈を教える様に心掛けてはいます。
 これは基本となる部分ですし、相手の素養に影響され難いのが理屈なので基礎部においては有効的です。
 ですが、いつの間にか、理屈を教える事さえ面倒になって来てしまい、回答迄の道筋を先走る傾向が強くなって来てしまった様です。もっと極端に云えば、回答を用意してしまい代替してしまう、と云うか。
 これでは、質問者に対して失礼だな、と反省しました。


 インターネットの登場により昔よりも遙かに情報を得るのが易しくなっている昨今、安直な質問には、Why?、と思ってしまう事が多いのですが、そもそも、分からない事がある場合、分からない事を探る事さえ困難である、と云う状況把握を軽んじてしまっていたのかも知れません。
 逆説的に、インターネットで情報収集が楽になった事から、所謂、知識をものにする為の修練を怠っている方も目にします。何故か、同業に多いのですが…

 いずれにしても、もっと丁寧な解説や説明をしなければなりませんね。

 より慎重に、より分かり易く、そう心掛けて参ります。


 それでは、アリーヴェデルチ♪


タグ:Perl CGI 質問 真偽
posted by EINS at 21:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | この記事をはてなブックマークに登録 | この記事をYahoo!ブックマークに登録 | この記事をBuzzurlに登録 | この記事をニフティクリップに登録 | この記事をlivedoorクリップに登録 | この記事をdel.icio.usに登録 | トピックイットに投稿する
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。